近藤元治(こんどうもとはる) 私の名は「近藤元治(こんどうもとはる)」。外国の友人は “Moto” と呼んでいます。
昭和11年(1936年)生まれで、子年の射手座です。年齢は数えてみて下さい。
出身は『坂の上の雲』の放映で話題になっている愛媛県・松山市。東雲小学校、松山城南中学、松山南高を経て、京都府立医大に入学。昭和37年に卒業して母校の京都府立医大・第3内科(増田正典教授)に入局、内科医になりました。
新米医者だった昭和39年、当時の東大伝染病研究所(今の医科学研究所)に内地留学、故進藤宙二、西岡久寿弥先生のもとで、免疫学の中の補体(complement)の勉強をしました。それが縁で、昭和44年~46年(1969~71年)にかけて米国ハーバード大学にWHOリサーチ・フェローとして留学、補体の研究に明け暮れました。忙しかったけどボストンでの生活を満喫し、大勢の友人が出来たのは私にとって宝物でした。
 そして昭和53年(1978年)に、思いもかけず京都府立医大第1内科の教授に選ばれました。学内で第3内科から第1内科へ移ったのも、また助手から教授に昇進したのも異例のことで、周囲はもとより、誰よりも私が驚きました。41歳のときでした。
それ以来20余年、若い仲間たちと国際的に通用する新しい教室造り、学問だけでなく医師としての人格を重んじた医学生教育、専門性は重視しながらも広い視野を持つ内科医の養成に力を尽くすと共に、関連病院への医師派遣で地域医療に貢献したものです。
私は人一倍好奇心が強かったのでしょうか、免疫学をきっかけに各方面に研究の幅を広げて行きました。当時、微生物学の教授だった故岸田綱太郎先生の手作りインターフェロンを日本で初めて肝炎患者に使用して好成績をあげたのが印象に残ります。今は大量のインターフェロンを投与するのが普通ですが、必ずしも多ければ良いというものではないことを実証したのです。消化器の分野では、蛋白漏出性胃腸症の治療法を開発し、潰瘍性大腸炎の注腸療法を普及させるなど、アイデイアに富んだ臨床研究はマスコミにもしばしば取り上げられました。極めつけが「ハイパーサーミア(ガンの温熱療法)」との出会いで、肝臓ガンに対する「温熱化学塞栓療法」を確立して巨大な肝臓ガンを治癒に導いたことは今でも語り草になっています。
 京都府立医大の病院長を最後に平成12年(2000年)に定年退官の後、大阪府茨木市の医療法人恒昭会藍野病院の院長を10年勤め、ハイパーサーミアでガンに悩む患者を応援してきました。
このたびご縁があり、京都府長岡京市の医療法人社団千春会(菊地孝三理事長)に移籍し、JR長岡京の駅前に「千春会ハイパーサーミアクリニック」を平成22年1月に開設、責任者としてガンでお悩みの患者さんやご家族に対応しています。
  趣味は学生時代から続けているテニスと留学から帰国して覚えたゴルフで、体を動かすことが私にとって健康の秘訣なのでしょう。今も全日本医師テニス大会の常連です。若い頃には乗馬もしていましたが、最近は馬に接する機会がないのが残念です。室内ゲームでは囲碁が好きで、これはボケ防止に最適です。執筆活動も趣味の一端で、これまでは医学に関する分かりやすいものが多かったのですが、最近まるでジャンルの異なる『ドクとイカロスの翼(いわはし書店)』を出版し評判になっています。